フォロワーの支持があるとリーダーシップは発揮しやすく、またリーダーシップが発揮できればフォロワーの支持が得られます。リーダーシップとフォロワーシップは卵と鶏の関係にあり、どっちかが失われるともう片方もだめになります。 日本の国民は50年ぶりに政権交代したばかりで、政権運営に苦労していた民主党に半年で見切りをつけ、フォロワーシップを放棄しました。そして参議院で野党に過半数の議席を与え、政権運営をますます難しくするという選択をしました。強固な官僚組織の壁に当たって、ただでさえリーダーシップを発揮するのが困難だった民主党に対し、さらにリーダーシップ発揮のハードルを高くしたのです。

俺たちの時代は人に迷惑をかけないっていうのは、迷惑をかけないために周りとコミュニケーションをとっていく、要するに自分の手のうちになるべく大勢の人を入れることが「迷惑をかけない」ってことだったのよ。なんかあったときに助けてくれたり、迷惑かけたとしても「ごめんね」で済むような関係を作るってこと。それが今の人たちは逆。人に迷惑をかけないっていうのを関係を遮断することだと思ってるんだよね。

加藤鷹×加藤ひさし対談 (via gkojax)
2009-03-09 (via gkojay, kotoripiyopiyo)

2010-02-24

(via gkojay) (via mcsgsym) (via tiga) (via yaruo) (via peckori) (via irregular-expression) (via haseshin) (via flatmountain)

日本がつい30年前にはこれだけの成功を収めていたわけですから、今の日本の衰退の原因を日本の古来からの国民性や慣行、風習に求めるのは論理的に説得力がありません。日本の国民性が30年間でそんなに変わったとも思えませんし、「和」を重んじる風習などはむしろ30年前の方が強かったかもしれません。それにも関わらず、このことを日本の衰退の理由と考える人がいるというのは驚くばかりです。

日本の衰退の原因を知ろうと思えば、30年前と今とで何が大きく変化したかを分析するのが常道です。例えば少子高齢化とか、日本人が豊かになったこととかから分析を始めるのが筋です。なのに国民性だとか風習だとか慣行だとか、このように比較的変化が少ないものに最初から注目するのはバカげています。

でも洋の東西を問わず人間は精神論が大好きだし、自国民と他国民の違いを挙げるのが好きなので、国民性が注目されやすいのです。

olivicat:

when i lived in the country we had these plants called like cucumber vines i think, and they’d do this and they were the best but really poisonous.

(出典: utoq)